のっけから何言い出したんだ、ってタイトルですが、そういう話です。
太陽があるなら、それよりも上に"グレートセントラルサン"なんてものがあると考えてもいいわけですが、ヘリオセントリック図の中に、グレートセントラルサンは書かれないですよね。
じゃあジオセントリック図でも太陽を書かないほうがいいんじゃないの?ということです。ジオというと地球限定になるので、「惑星セントリック図からは太陽を外そう」と言ったほうがより正確ですが、ジオセントリックと書いたほうが、センセーショナルでいいかな、なんてちょっと色気づいてみただけです。
階層構造を考えてみると、こういう感でしょうか?
ヘリオセントリック図 | 惑星セントリック図 | ||
考えている中心よりも上 | グレートセントラルサン | 太陽 | 書かれ得ない |
中心、見るもの | 太陽 | 惑星 | 中心点 |
対象、見られるもの | 惑星、仲間の恒星? | 衛星、仲間の惑星? | 周辺に書かれるもの |
太陽が書かれていない惑星セントリックホロスコープで占星術するなんて可能なのか?なんですけど、書いていないなら無いとか、書いていないからわからない、なんてこともないでしょう。
例えば、この土星中心の図からは太陽を抜いてありますが、
水星や金星など、自分よりも内側を回る惑星たちは、いつもある辺りに集まっているわけです。そうすると「そこにはきっと何かある」と思うのが普通なんじゃないのかな。
冥王星からなら、さらによくわかる。
ちょっとわかりにくいのは水星や金星でしょうか。
でも前にここで書いたように、
逆行の見分け方、ジオセントリック図、外惑星 - アホウドリ天文台
外惑星でも逆行の様子から、その180度向かいに太陽があるということはわかりそうです。
回りの惑星仲間たちが、惑わされているかのようにたまに逆行をするのは、何か大きな力が働いているからじゃないのか?
なんて考えた時に、
A: 周りは惑わされているけれど、自分は違う。
と思うタイプもいれば、
B: 自分も周りと同じで、たぶん惑わされているのだろう。
と思うタイプもいそうです。
Aだとちょっと孤立しそうです。Bなら他の惑星たちとも連携をとっていけそうです。
月になると惑いません。自分(惑星)の作った渦に素直に乗っています。
これは惑星セントリックで自分と同レベルの仲間も図に書ける、という設定での話です。
これと同じ理屈をヘリオセントリック図にもあてはめるとすれば、ヘリオセントリック図内にも仲間の恒星を書き込むべきですし、そしてその仲間の恒星は逆行をするかもしれない、ということです。
恒星の逆行?そんなことあるか?と思いましたが、でもすぐに(あるかもな)と思いました。恒星について語る人は古今東西で多数いるみたいですが、でも時代によって恒星の意味も変わるというか、ある恒星について、良く言われる時代もあれば、悪く言われるような時代もあるように思います。それと順行と逆行は関係あるのかもしれない。
それが天文学的に観測できるかというと、そこはちょっと無理?疑問は残りますが、でも人間が物質的に観測できる空間範囲や時間範囲なんて、ほんのわずかな一部でしょうから、そこだけで決めつけるのはちょっと窮屈ですよ。
もし、自分よりも下の階層しか書かない、という設定にするなら、ヘリオセントリック図には恒星を書かないし、惑星セントリック図では仲間の惑星を書かないことになります。でも仲間が持っている月は書けるということにしましょう。
そういう場合、月を持つ惑星仲間なら、その存在を知ることはできるでしょう。月が繭のようにその惑星を取り囲んでいて、繭の中には何かあるのだろう、と予想できるからです。
でも、月を持たない惑星仲間だと、その存在がわからなくなってくるかもしれません。水星や金星ですね。
地球も月が1個ですから、他の惑星からするとちょっとわかりにくいかもしれません。一応大きさは違いますが、どっちが惑星でどっちが衛星なのか、2つではどっちもどっちな感じもあります。火星だと月が2個かな?それもちょっと微妙なあたりです。そうするとやはり木星と土星というのは存在感が大きいですね。お付きの者がたっぷりいます。
そういう2つの設定を考えた時、私としては、図には同レベルの仲間も書けた方が面白そうだ、と思います。
人間世界で同レベルだと、張り合ったりしてちょっと難しい面もあったりしますが、それは度量の狭い人間世界の話です。